母のこと

1月16日(月)の早朝、母が亡くなりました。昨日と本日に近親者のみにて通夜と告別式を執り行いました。生前にお見舞いのお言葉等を頂きました皆様方にお礼申し上げます。

母は、第二次世界大戦勃発の年に東京で生まれた後に、現在の北朝鮮で幼少期を家族と過ごし、終戦時に父親(私の祖父)はシベリアに抑留され、生みの母親(私の知らない祖母)は北朝鮮で亡くなり、日本に帰国した後は、親戚の家で従妹らと暮らしました。母には妹がいましたが、帰国後すぐに4歳で亡くなったそうです。母が帰国して2年後に父親(私の祖父)がシベリアから帰国し、その後は父親(私の祖父)と再婚した母親(私の祖母)との3人で東京で暮らし、大学の英文科を出て、就職した後に父と結婚しました。以前にも書きましたが、教育者で3人の息子を大学までいかせました(僕は出来が悪いのですが)。苦労の多かった母かと思いますが、ここ10年くらいは英語が堪能なこともあり、海外旅行を楽しんでいました。とにかく英語が好きで、いつも勉強していました(おかげで僕は英語嫌いです)。そして、孫たちが大好きで、亡くなる前も孫たちの名前をうわ言で言っていたようです。棺の中には、祖母の絵と、英語の本と、孫たちの手紙を入れた後に花をいっぱいに詰めました。
母親の亡くなる前日にお見舞いに行ったら、痛がって苦しがっていたので、看護師にお願いしてモルヒネのレスキューをしてもらい、子供ら(孫)の写真を見せたら、笑った後に眠ったのが僕との最後でした。その翌朝に父が見守るなか静かに息を引き取りました。母親はあと10年位、海外旅行を楽しんだり、孫の成長を見守りたかったはずなのが無念ですが、闘病中はみんなじゃなくて私が癌になってよかったと口癖のように言っていました。人に迷惑をかけるようなことが嫌いだった母は、見舞いに行くたびに、来なくてもいいとか、皆に元気だったと伝えておいてと言っていました。命日を選んだのか、僕の大きな仕事の日は命日も、通夜も告別式も四十九日も丁度避けています。仕事ちゃんとしろって言われているみたいです。明日から大津で会議の出張で、京都に向かっています。それも偶然なのか、僕は大阪で生まれて育てられたので帰りに大阪によって、生まれ育った町を母を偲んで歩いてから帰京しようと思います。これからも家族を大事に仕事も頑張って強く生きていくことが供養だと思って一生懸命生きようかと思います。