残念なDIのAI

https://www.yakuji.co.jp/entry72950.html

なんか最近AIブームですが、この記事についてはあえて辛口のコメントをします。関係者もこの投稿を見るかと思いますが、あえて素直な感想を記します。聴講して質問・コメントもしましたが、率直な感想は、AIってこんなレベルなの?こんなレベルならコストベネフィット考えたらいらなくない。専門家が開発に関与する意義が乏しくない?そもそも、答えのあるDIのQAの過去の事例を収集・解析して新たなQを自然言語処理して予め設定したAに導くとういう内容。なんか単なる開発会社の宣伝みたいな感じ。なんか開発会社に利用されてない?AIって、もっと高度な問いに対して人では対応が難しいことについて、AIが自己学習?してヒントを与えてくれるものかっと思っていますし、そういうものの開発にその分野の専門家が関わることに意味があると思っています。そして、そのAIの回答に対して専門家として最終判断と要約して説明できることが大事なのかと。AIで仕事が奪われるとか以前の開発内容だったので、なんか逆に薬剤師の仕事なんてこんなものかと誤解を受けると思われ、残された仕事はコミュニケーションだけ?とか誤解されそうで残念でした。僕はこの分野に手を突っ込む気はしていませんが、以下の記事をご参考まで。

言いたいことはようはあんなレベルならまだまだ相手にもしませんってこと、僕は。それよりは薬剤師の本質的な職能向上に貢献したいです、僕は。まあ、雑務を改善してくれる機械は素直にありがたいですが。

 


AI により薬剤師業務はどう変わるか ―10年後・20年後を見据え,今,薬剤師に求められることは―

国際医療福祉大学薬学部特任教授  土屋文人

30年前にも記したことであるが、「医師も薬剤師も不要な時代」が来たならばそれは国民にとって理想とも言える時代を迎えたことを意味するのではないだろうか。これからの10年で薬剤師が対物業務の管理と対人業務を必死になって行うことは20年後に国民が理想的な時代を迎えることになるかもしれないのである。万が一そのような国民にとって理想の時代を迎えるとしてもそれまでには10~20年の時間を要すると思われる。それだけの時間が与えられるのであるから、自分たちの職業が消えることを恐れて薬剤師として,成すべき事を全うしなかったなら、国民は別の手段を使って薬剤師を不要なものにするであろう。自らが消えることを恐れずに薬剤師の職能を全うすることで新たな展開が見えてくるのである。今の時代で薬剤師が行っている事が不要になるように薬剤師が努力することで新たなものが見出せるかもしれないのである。その意味で薬剤師の将来が暗いとは思わない。現時点における薬剤師が不要となるように薬剤師が努力することが求められているのではないだろうか。

THPA. Vol. 67, No. 3(2018)131

<シンポジウム要旨下書き> がん医療でRMPは活用できるのか?活用すべきなのか?

 

がん医療でRMPは活用できるのかは、私にはよくわかりません。活用できるかどうかは、考え方次第だし、立場や状況によって活用できる薬剤や項目もあれば、活用の必要もない薬剤や項目もあると思います。そもそも使う人の考えやスキルにも依存すると思います。

一方で、がん医療でRMPを活用すべきなのかは私の立場からは言えません。活用すると良いかもしれませんくらいしか言えません(逆にある立場の人は立場上活用すべきとしか言わないと思います)。いずれにしてもRMPも医薬品の情報源の一つに過ぎません。全ての医薬品情報源がそうであるように。

活用できるかどうかは、その情報源の概要や特性を知らないと判断できませんし、実際に使ってみないとわかりません。まずは使ってみようというきっかけになればとの思いでRMPについて私なり紹介したいと思います。活用できるかどうかの保証はしません。

その前にリスクとは何でしょうか?リスクとはハザードと確率の関数です。すなわち、「あるモノやコトの危険性・有害性×そのモノやコトの起こる確率又は曝露量」と示されます。リスクは「ある」か「ない」か、ではなく、「どのくらいの大きさか」「どちらが大きいか」で考える必要があります。

薬剤師はリスクだけ見れば良いとか、それは違います。リスクベネフィットバランスを評価することが大事です。そのためにリスクを定量的に見積もる必要があるのです。リスクの程度に応じてマネジメントすること、それに薬剤師が主体的に関わることが大事です。

以上のような観点から、そもそもRMPは何なのか、どんな活用例があるのか、そして本当に活用したほうが良さそうなのか、当日までに何とかスライドを作成したいと思います。がん専門の薬剤師ではないのですが、、、がんばります。。。

ところで、RMP の追加のリスク最小化活動の項にて規定された患者さん向け資材、あれは有用ですか?

職能軽視なので安易に使うことに反対の言葉

今日は研修会の講義でした。

そこでも少し触れたことです。

 

以下の言葉は良く使われていますが、薬剤師の職能軽視なので、安易に使うことに反対です。

特に学会発表とか論文では使うべきではありません。

 

「医師の負担軽減」「看護師の負担軽減」

「処方代行入力」

「対物業務から対人業務へ」

「薬あるところに薬剤師あり」

 

これらの用語は他職種からみたら、薬のことだから内容を問わず薬剤師がやってねとなり、薬剤師の専門性や独自性を含んだ言葉ではありません。

そもそも、目的は他職種の負担軽減ではありません、他職種の代行業務ではありません。

対物か対人かではなく、物でも人でも薬剤師として関わることで医療の質が上がるのか(患者のためなのか)どうかが重要なんです。

AIとかロボットは今後、対物だろうが対人だろうが置き換わっていきます。その職種が生き残れるかは対物だろうが対人だろうが職能として関わることに意義があるかどうかです。

なので、対物業務から対人業務ではなく、ハードからソフトへの関わりが大事で、対物か対人かの違いではありません。ソフト面で職能を活かすために、独自性(薬学)と協調性(他学とコミュニケーション)の両方が必須です。

対物業務だって情報に基づいた管理は重要です。その情報管理に関わることが大事なんです。そもそも薬剤師は薬という物を人に使うところ(あるいは使った後)を専門にする職種です。物としての薬のこと(薬学)がわかっていない薬剤師は薬剤師ではありません。

薬のことだから全部薬剤師なのではなく、薬のことで、薬剤師だから関わることが重要ところはちゃんと関わることが大事なんです。任せられることは任せれば良いのです、対物だろうと対人だろうと。それこそ、患者や他職種への薬剤師からの教育も大事なんです。だから薬剤師がロボットを活用する、ロボットの開発や活用に関わることも大事なんです。

薬剤師のど真ん中 –クリアランス理論に基づいた薬剤師による本質的な薬物治療マネジメントとは?– (講演要旨下書き)

印象悪いかな。。。

 

降圧薬Aを飲んでいた患者さんの血圧が低いです。最近、降圧薬でない他の薬剤Bが追加されました。Bの添付文書を見たら降圧薬Aの代謝を阻害するため、薬剤Aの降圧作用を増強させる可能性があるため併用注意となっていました。「◯◯先生、相互作用により血圧が低下したと思います」あるいは「◯◯先生、相互作用により血圧が低下した可能性が否定できません」 薬剤師らしい仕事でしょうか? そもそも本当でしょうか? 薬剤Bの併用により薬剤Aの血中濃度はどの程度上昇し、その上昇の程度は降圧効果にどの程度影響を与えるか考察したのでしょうか? そのデータがない場合に、その程度をある程度定量的に評価したうえでの情報提供だったでしょうか? 薬剤師のど真ん中である薬学という学問は、本来、効果やリスクを定量的に評価するための学問です。単に添付文書に書いてあることを伝えるのは中学生でも可能です。起こり得る可能性を定性的に説明するたけであれば高校生でも可能です。薬剤師の本質的なあるべき能力は添付文書に書いてあることが妥当かどうか定量的に考察できる、目の前の患者にその情報を適用可能か定量的に考察できる、患者個別に適した薬物治療マネジメントを定量的に考えて提案できる。それが薬剤師の本来のど真ん中の仕事ではないでしょうか?AIが注目されています。添付文書やガイドラインに書いてあることをただ伝えるだけの仕事はもう既にAIが可能です。腎機能が悪い患者への投与量の情報も伝えるだけなら有用な本を医師や看護師が持っていればいいだけだし、その情報提供であればAIで代替可能です。

 薬剤師なんだから、「薬剤Aと薬剤Bの併用では、相互作用試験のデータはないですが、薬剤Aのクリアランスにおける代謝酵素XXの寄与の程度と、薬剤Bの代謝酵素XXへの阻害の強さからは、薬物Aの血中濃度は◯◯倍程度上昇する可能性が考えられ、降圧作用がかなり強くなると思われますので、薬物Aを1/△程度まで減量したうえで、今後も血圧を慎重にモニターした方がいいと思います」って言える薬剤師になりたくないですか? 「患者のeGFRはこれくらいですが、これくらいの体格なので実際のGFRはこれくらいで、この薬剤Cの腎排泄の寄与は□%なので、具体的な推奨用量は添付文書に書いていませんが、◯倍位に血中濃度が上昇することが考えられ、この薬剤Cは過量になると中枢性の副作用が起こやすくなり危ないので、△mg位に減量するのが妥当だと思います」って考えて言える薬剤師になりたくないですか?このような考え方が出来てこそ薬剤師として薬物治療に本質的に貢献できます。このような理論的な考え方や情報提供は本当に役立ちますし、そうでなければなりません。薬剤師なんですから。この薬物動態学的な考え方の根本がクリアランス理論の理解です。簡単ではないです。プロとしての薬剤師の武器なんですから。でも凄い難しいわけでもないです。それを少しでもわかりやすく、聴講者全員が理解できるように伝えたいと思います。もし、わからなくても、わかるまで復習すれば良いだけです。皆さまはプロなんですから。

セッション名: シンポジウム 「◯◯認定薬剤師に求めるもの」 の要旨下書き

セッション名: シンポジウム 「◯◯認定薬剤師に求めるもの」 の要旨下書き

 

✕✕専門・認定薬剤師の一人として想うこと

 

現在、専門薬剤師や認定薬剤師等の制度は約30団体・45種類にも及ぶ。薬剤師の活動範囲が広がる中、多くの専門・認定薬剤師制度が立ち上げられ、質の担保に懸念の声もある。学会の大きな収入源との批判も聞こえたりするし、大きな収入源であること自体は事実だと思う。

私も✕✕専門・認定薬剤師のほかにも、複数の専門・認定薬剤師の資格を取得しているし、認定制度のための試験や研修にも関わっている。しかし、専門・認定薬剤師の制度についての懸念がないといえば嘘である。

なぜ私が✕✕専門・認定薬剤師に限らず、専門や認定の資格を取得したかといえば、ひとつはその領域に関わる仕事をしている以上、「一定の質の担保を得ているという証がほしい」、「持っていたほうが薬剤師として評価される(だろう)」という、いわば自己満足的な欲求が強いというのが正直な動機である。ただし、そのための試験勉強や介入症例の作文などは自分の不十分な点を見直すきっかけにもなったし、専門や認定を取得したことで様々なチャレンジや勉強の機会をいただき、更に向上できたことやモチベーションを得ることも出来た。そして、同じ領域で向上しようとする仲間との繋がりができ、困ったときに相談することや、一緒にセミナー等を企画したりすることもあり、そのような取り組みがその領域のボトムアップに繋がり、結果的に患者や社会のためにきっとなっているという実感や責任、共感を得ることもできた。また、施設内では、その領域のリーダーあるいは相談役となって、適切な助言をすることも大事な役割だと思う。

ただし、実は一部の認定については更新するのを辞めたり、諦めたりしている。それは、ひとつは自分にはメリットが感じられない認定であり、ひとつはその領域にほとんど関わらなくなったためである。無理に自己満足だけで取得・維持するものではないと思う。

プロとして仕事に重要なのは、純粋意欲、存在意義、共鳴行動の3要素である。専門・認定薬剤師制度がそのために有用であれば、それで良いと思う。ただし、存在意義として専門・認定薬剤師制度が本当に有用なのか、それを示していかなくてはいけないと思う。そうでなければ、専門・認定薬剤師と団体の自己満足であり、社会に対して質の担保が示せていないことになる。それを示すためには、専門・認定薬剤師自身も認定する団体も覚悟を持って、制度のアウトカムを設けて真摯に取り組むことしかないのではないだろうか。批判は簡単なので、新しいことに批判はつきものである。しかし、その批判には反論できるエビデンスがなくてはいけない。私も頑張ろうと想う。

母のこと

1月16日(月)の早朝、母が亡くなりました。昨日と本日に近親者のみにて通夜と告別式を執り行いました。生前にお見舞いのお言葉等を頂きました皆様方にお礼申し上げます。

母は、第二次世界大戦勃発の年に東京で生まれた後に、現在の北朝鮮で幼少期を家族と過ごし、終戦時に父親(私の祖父)はシベリアに抑留され、生みの母親(私の知らない祖母)は北朝鮮で亡くなり、日本に帰国した後は、親戚の家で従妹らと暮らしました。母には妹がいましたが、帰国後すぐに4歳で亡くなったそうです。母が帰国して2年後に父親(私の祖父)がシベリアから帰国し、その後は父親(私の祖父)と再婚した母親(私の祖母)との3人で東京で暮らし、大学の英文科を出て、就職した後に父と結婚しました。以前にも書きましたが、教育者で3人の息子を大学までいかせました(僕は出来が悪いのですが)。苦労の多かった母かと思いますが、ここ10年くらいは英語が堪能なこともあり、海外旅行を楽しんでいました。とにかく英語が好きで、いつも勉強していました(おかげで僕は英語嫌いです)。そして、孫たちが大好きで、亡くなる前も孫たちの名前をうわ言で言っていたようです。棺の中には、祖母の絵と、英語の本と、孫たちの手紙を入れた後に花をいっぱいに詰めました。
母親の亡くなる前日にお見舞いに行ったら、痛がって苦しがっていたので、看護師にお願いしてモルヒネのレスキューをしてもらい、子供ら(孫)の写真を見せたら、笑った後に眠ったのが僕との最後でした。その翌朝に父が見守るなか静かに息を引き取りました。母親はあと10年位、海外旅行を楽しんだり、孫の成長を見守りたかったはずなのが無念ですが、闘病中はみんなじゃなくて私が癌になってよかったと口癖のように言っていました。人に迷惑をかけるようなことが嫌いだった母は、見舞いに行くたびに、来なくてもいいとか、皆に元気だったと伝えておいてと言っていました。命日を選んだのか、僕の大きな仕事の日は命日も、通夜も告別式も四十九日も丁度避けています。仕事ちゃんとしろって言われているみたいです。明日から大津で会議の出張で、京都に向かっています。それも偶然なのか、僕は大阪で生まれて育てられたので帰りに大阪によって、生まれ育った町を母を偲んで歩いてから帰京しようと思います。これからも家族を大事に仕事も頑張って強く生きていくことが供養だと思って一生懸命生きようかと思います。

母が癌になって

あけましておめでとうございます。
新年早々ちょっと明るい話ではない長文ですが、お許しください。
昨年は息子の幼稚園入園、娘の小学校入学と七五三が我が家の主なイベントでした。
11月上旬に娘の七五三と母の喜寿(77歳)のお祝いをしました。
その後、11月末に母に用事があり、実家に電話したところ、父が出て、母は癌とわかり入院しているとのこと。は.? 1か月前の喜寿のお祝いでは完食していて、元気だなと思っていた先のことで、まさかでした。母は僕と次男(北海道在住)は忙しいから伝えるなと長男のみに知らせていました。検査の結果、既にステージ4の進行胃癌で肝転移もがっつりありました。化学療法開始して退院するも、10日後には病状悪化し再入院となり、少し持ち返して年末に退院するも、状態はさらに悪くなりほぼ寝たきりとなり、また父も84歳と高齢で、元旦夕方にこれ以上は自宅での介護は不可能と判断して、再入院となりました。喜寿のお祝いが出来て、元旦は家族全員で自宅で迎えて、子供らを会わすことが出来たことは良かったと思います。が、もう永くはないでしょう。
母は、強烈なキャラで、いわゆる教育ママで息子3人を大学まで行かせました。兄二人は頭が良くて真面目で現役で国立大ですが、僕は中学で登校拒否したり、親の金を盗んでパチンコ行ったり、高校生でもタバコ吸ったり、バイクで通学したり、家出したりと、まあ心配かけました。持ち前の調子の良さで三科目受験に絞り奇跡で私大には行けましたが。昔はいつも怒鳴られていましたが、僕の結婚式では泣いていました。僕のことで泣いているところを初めて見ました。強烈な母だけど、まじめで優しい母で、祖母が亡くなったあとはずっと祖母のお世話になった施設でこの間までボランティアでお手伝いをしていました。なんてことを、この1か月、病院や実家を通いながら思いだしていました。
また、あまり詳細は書けませんが、病院、医師、薬剤師、看護師などの医療者、患者、家族、病気、介護、お金、保険、社会、色んなことを考えさせられました。特に、医師、患者(母以外)、患者としての母、家族、親戚の意思や想いの違いを感じられずにはいられませんでした。そして、この国の高齢化社会格差社会はもうヤバいレベルなんだと感じました。当事者にならないとわからない自分も含めて問題なんですが。
ということで、この1か月バタバタしており、今年の抱負とか全然考えられる状況ではありませんが、それでも家族と仕事は大事に自分なりにしっかりしようと思います。